2007年2月26日月曜日

【3日目】標茶ー興部

【3日目】標茶ー興部(2004年9月21日)

(標茶しべちゃ 0611−0646 釧路湿原 0738−0758 釧路 0905−)0957 標茶 0957−1143 止別やむべつ 1257−1326 網走 1340−1600 中湧別 1604−1700 紋別 1710−1755 興部おこっぺ


本日は釧網本線を網走まで、そこから廃線になった湧網線跡をバスで興部(おこっぺ)まで行く。ただし、その前に「最長片道」から離れて、
途中釧路湿原まで出てから釧路に立ち寄って行く。
標津線の起点標(標茶駅ホーム)

標茶発0611始発釧路行きに乗る。このために昨夜駅前の旅館に泊まったのだ。0646釧路湿原臨時駅に降りたのは私一人だけだった。カタンカタンと一輛の列車が 行ってしまうとあたりは全くの静寂となった。細岡展望台まで歩く。これだけの広さの大自然がそのまま残っていることに感謝。ここで一時間ぼーっとしてい た。


0738釧路湿原発釧路行きの列車は通学の学生で満杯だった。釧路駅で時間待ちの間、駅構内のクイックマッサージ。背中と尻を集中的にやってもらう。30 分1500円は安い。今日の朝食は「十勝おはぎ」と「コロッケ」。北海道では冬寒いためか(1)改札は発車15分前まで行われずホームには入れない。 (2)乗客はホームの階段で風を避けて列車を待つ、のが普通のようだ。この季節でもその習慣は変わらない。

釧路発0905快速「しれとこ」網走行き。ほぼ満席。カメラを抱えた女性の一人旅が目立つ。途中、今朝始発で出てきた標茶に停車。「最長片道の旅」三日目はここから始まる。

  右窓に斜里岳が見えてくる。形よい頂に雪をおき、
  裾を思い切り長くひいた休火山で、地図を出して
  山名を確認せずにはいられぬ山容である。
  (宮脇俊三「最長片道切符の旅」 新潮文庫)

地図を出して山名を確認した。なるほど、形がよいいい山だ。麓は見渡す限り牧場である。

  列車は湿地と海の間の低い砂丘の上を行く。波が
  荒く、幾段にも崩れている。砂に埋もれた流木や
  番小屋しか目に入らない茫漠としたところを急行列車
  は九十キロぐらいの快速でとばす。前方にウミネコの
  群がりが見えてくると小さな川が海に流れ込んで
  いて、家があり、ときに駅もある。そこを過ぎると
  また単調な眺めに戻る。
  (宮脇俊三「最長片道切符の旅」 新潮文庫)

車窓を流れる景色は25年前と変わらない。変わったのは急行がなくなって快速になったことだけである。止別(やむべつ)で降りて昼食に駅構内の食堂でラーメンを食べる。

次の列車まで時間があるので浜まで歩いてみる。やっぱりなんにもないただの浜であった。知床が見えた。

遙か右に知床半島

網走からはバス。今回の北海道でもっとも接続が難しかったのが、網走から名寄までの旧湧網線、名寄線の跡をたどるこのバス路線であった。バスの時刻表はネットでも出ておらず、交通新聞社の「道内時刻表」でようやく確認できた。結果的にはバスを三路線乗り継ぐことになった。バスの乗り継ぎは時間が不定期なのでいやなのだがしょうがない。しかしこれは杞憂でバスは鉄道並みに時間ぴったりで運行されていたのであった。

網走を出たバスは国道238号線を走る。その横をつかず離れず細いサイクリングロードが走っている。これが湧網線の跡である。細い。車道片道の半 分もない。細く長く続くその道はかれんである。バスは浜佐呂間から大きく山に入り以前の湧網線の路線通りに佐呂間を経由していく。佐呂間と計呂地には湧別 線駅跡が残っていた。明治期のよい形の駅舎である。バス停の名称がユニークだ。「片倉宅前」「福地宅前」「伊沢宅前」と「宅前」が続く。


鉄道は国を興すに当たっての産業の基盤であった。石炭、石油を運び、原料を運び、製品を運ぶ。米、野菜、木材を運んだ。道路は投資であった。それ は国民生活を豊かにした。道路建設には莫大な費用がかかる。鉄道を産業基盤として豊かになった日本は、欧米に負けないきれいで立派な道路網を作った。その 善し悪しは云わない。それは確かに人と物の流動性を高めた。それは日本の豊かな財産の一つであるといえるだろう。

中湧別バスセンターで紋別行きのバスを待つ。以前鉄道の駅だったところがバスセンターになっている。どこの町でも町中の中心に広くて立派なセン ターがある。これはすべて駅とヤードの跡なのであった。バスの接続は鉄道並みに時間通りでなんの問題もなかった。ただ、中湧別のバスセンター待合室で札幌 ファイターズの新庄が満塁大逆転ホームランを打ったニュースをおじさんや女学生と眺めていたら危うく次のバスに乗り遅れそうになるところであった。

北海道では今パークゴルフが全盛のようだ。ゲートボールはどこへ行ってしまったのか。遠紋地区では「いなか博」というのをやっていた。紋別から興部間でオホーツクの雄大で美しい夕焼けを見た。270度、海と原野と山の大きな夕焼けであった。

  6時02分着の興部でほとんどの客が降りる。なんと
  カラスの多いところだろう。五十羽ものカラスが駅の
  周辺で飛んだり止まったりしている。しかし、あの
  カアという声は全く発しない。朝のカラスは鳴かない
  のだろうか。
  (宮脇俊三「最長片道切符の旅」 新潮文庫)

興部(おこっぺ)に着いた。カラスは一羽もいなかった。宿はバスセンターの近くの洋食屋兼宿屋の「味来館」にした。泊まり客は道路工事の人たちら しかった。夕食は彼らの分だけで余分がないということで、近くの寿司屋を紹介してくれた。寿司屋で宿の紹介だというと「あの人はいい人だねえ」と感心して くれて、こちらもなんだかうれしくなった。お任せで食べた「イカの耳」と「ホタテ」がおいしかった。宿の亭主に寿司屋のお礼かたがたこのあたりの特産品を 聞くと「コックとしてここのベーコンはおすすめできる」というので、ベーコンとハムのセットを送ってもらうことにした。


 

 

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「乗り鉄」です。始発からずっと乗りっぱなし。泊まりはたいてい駅前のビジネスホテル。泊まったところでおいしいものを見つけるのが楽しみ。 路地裏旅行社 http://www.kanshin.jp/rojiura/